テクスト主義

世界を革命する力を!

田中康夫『なんとなく、クリスタル』

ラジオかなんかで触れられていたので興味があり読んでみた。

舞台は80年代のバブル期の東京。主人公の由利は大学生でモデルをやりながら表参道でミュージシャンの彼氏と二人で暮らしている。代官山や青山を散歩してお気に入りのショップを巡ったり、クラブで男を引っかけたりする生活…

ブランド物の服を身にまとった彼らはだいたい富裕層の人間で将来についてもなんにも考えてない。由利は自分たちの世代を「クリスタル」という言葉で表現する。特に何の思想があるわけでもない、だが輝くような生活を送っている、そんな様子がクリスタルの透明性に重ねあわされているのだろう。由利の生活は「なんとなく」なのである。

読んでみて思ったのはこいつら超むかつくな〜ということ。バブルの申し子である彼女彼らは将来のことなんて適当に考えて毎日消費に明け暮れている。モデルもやってるし彼氏もいる学歴もそこそこあるし何しろ表参道に住んでいる。生まれた時から不景気、不景気と言われ続けた自分たちの世代からすればふざけんな!と言わざるを得ない。今風に言えば彼らは「リア充」であり鬱屈とした大学生活を送っている自分とは対照的な彼らの姿に嫉妬しつつも怖いもの見たさのような興味で読み進めていった。

しかしこの小説がバブル期の金持ちリア充大学生の自慢話で終わるだけならこの小説をそもそも読もうと思わなかったしむかつくクソ小説としての烙印を押さざるをえなかっただろう。重要なのはこの小説のページの左半分は田中康夫による注が物語に平行して置かれていることだ。物語上に配置されたたくさんの実際のブランドやショップ、音楽などの記号にいちいち注をつけているのである。その注はどこか彼らの消費生活を冷笑的に眺めている感じがあってそれが一種の精神安定剤として作用しこのむかつくリア充大学生達の生活を自分は読むことができたのである。

あとがきで高橋源一郎が言っているようにこの小説の本質は物語の本文ではなく、むしろ注にあるのであると思う。作者の田中康夫はこの小説の同時代を生きながらも行きすぎた消費主義にどこか疑問を覚えていたのではないだろうか。物語の終わりに唐突になんの説明もなく挿入される「出生力動向にかんする特別委員会報告」と「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書)」という資料はバブルの崩壊とともに現在の少子化を予期するようであり、作者の問題意識が伺われる。彼らのなんとなく、クリスタルな生活は長くは続かなかったのである。

現在大学生であり就活を目前にしている自分にとってこの本はいろいろ考えさせられた。現在においても由利のような大学生はいるだろうし、未だに六本木での大学生のクラブ通いは盛んである。確かに今は不景気ではあるが不思議なことにこの物語の時代と現在の連続性を感じたのも事実である。80年代のバブルは確かに終わったが紛れもなく現在の自分はその延長線上で生きている。そういう意味で現在を考えるためにも重要な一冊だと思う。たぶん、また読み直す。