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テクスト主義

世界を革命する力を!

成長物語としてのジュラシックパークとジュラシックワールドについて 感想

 ネタバレ有り

 

 ジュラシックパークを初めて観たのはいつ頃だろうか。おそらく小学生の時ぐらいだったと思うがどうやって観たかもよく覚えてない。おそらく地元の図書館から借りてきたか、金曜ロードショーかなにかのテレビ番組で観たと思う。気づけば知っていたというのがおそらく適切だろう。ずいぶんと昔の事だから当時どう思っていたかなんてちゃんと覚えてはいないが世の子供たちと同じく自分もこの恐竜の世界にどっぷりと魅了されていたのは間違いない。密閉された空間において怪物?から逃げるといった王道サバイバルストーリーと圧倒的にリアルな恐竜達の映像を子供が好きにならない理由なんてないはずである。

 
 今回ジュラシックワールドという新しいシリーズを観る前に、シリーズ一作目のジュラシックパークを見直してみようという気になった。本当に6,7年振りにジュラシックパークを観が、やはり無類におもしろい。もう初登場時から20年以上も経過しているにも関わらずまったく古さを感じさせない。CGがこれほどまでに進化した現代においてもこの映画の恐竜達はホントにそこにいるかのような実在感がある。話も今になって見返してみると、ハラハラドキドキさせられるだけではなく色々な意味があることに気づかされる。
 
 この映画は単なるエンターテインメントに終わるだけではなく、様々なテーマが内包されている。例えば行き過ぎた科学の万能主義者に対する批判などだ。しかし私が今回見直す上で最も注目したストーリー上の要素は「大人になりきれない人間が大人になる」といテーマである。ジュラシックパークの主人公のアランは化石が大好きで恐竜の事ばかりを考えている恐竜博士(オタク)だ。そんなアランにもちゃんとエリーという助手であり彼女がいるあたり憎らしいが、アランは大の大人のくせに恐竜をバカにした子供に対してムキになったり、理由もなく子供に嫌うのである。子供嫌いということもありエリーとも結婚をしようとしない。恐竜という夢を追い続けるアランは、子供嫌いにも関わらずどこか子供っぽい人間なのである。しかしそんなアランも子供達と共にジュラシック・パークの事件に巻き込まれるていく内にだんだんと「大人」として成長していく。アランとハモンドの孫達がT-REXに襲われた後、子供達と共に木の上で寝るというシーンがある。彼らが目を覚ますとブラキオサウルス(首が長いでかい恐竜)が目の前に居るのだがレックス(姉の方)がその恐竜を怖がるのである。そんなレックスに対してアランは「理由がないのに嫌っちゃだめだよ」という大人なセリフを吐くのである。これは恐竜に対して偏見を持たずに触れあってほしいというアランの言葉だが、一方でこの言葉は子供嫌いなアラン自身に対しても跳ね返ってくるのである。アランは恐竜に御触れて木の上で寝るという一夜を子供と共に過ごし、いつの間にか嫌っていた子供と心を通わせることができているのである。そしてラストでは脱出後のヘリコプターの中でアランはハモンド達の孫を両脇に抱いて座っている。子供と同じ車に乗るのさえ嫌だったこの男がである。その姿を観てエリーはほほえむのであるが、観客はこの時エリーの視線となってアラン成長したなーとしみじみ感じるのである。つまりこの映画は主人公の古生物学者アランの成長物語でもあるのだ。
  
 それでは今回のジュラシックワールドはどうだっただろうか。結論から言えばこの映画の主人公は前作と違いほとんど成長していないように感じる。今作のヒロインのクレアという科学者兼ジュラシックワールドの管理者は前作のハモンドのような役割を担っており、また熱心に働きすぎるあまり私生活を顧みることが出来ない現代的なキャリアウーマンを象徴するようなキャラクターである。このクレアは妹の息子兄弟を預かりジュラシックワールドを案内するよう言われていたが、仕事が忙しくその役目を秘書に押しつけるのである。この兄弟がなかなかのクソガキっぷりを発揮し勝手な行動を起こすことで、お約束のガバガバ管理体制の下で恐竜が逃げ出し大惨事が発生したしてしまう時に危険地帯で孤立してしまう。そこでこのクレア、なんといきなりパークの管理を放棄して自分が預かっていた妹の兄弟達を探しに行くのである。前作の話ならばパークはまだ開園する前であり、いくらでも助けにいくことはできるのだが今作ではパークは大盛況で何万人もの観光客が訪れているのである。来場者が次々と恐竜に喰い殺される地獄絵図の中で身内を助けに行くなんて、パークの責任者としてどうなのだろうか。しかも恐竜が暴れて阿鼻叫喚の中、ヒーローのオーウェンと意気投合し、いきなり人目も気にせず(気にすることができる状況ではないが)いちゃいちゃキスしだすのである。あげくの果てに脱出した後再開したオーウェンとクレアが オ「これからどうする?」 ク「行きたいところにいきましょう」(おぼろげ)と希望溢れる会話をするのだが自分としては、「これからどうするじゃねーよ!お前にはこれから業務上過失致死罪の裁判が待ってんだよ!!」と思ってしまったのである。確かに今まで顧みなかった子供達を助けに行ったという点では成長したと言えるし、オーウェンとの関係が成就したのも私生活がほとんど無いような彼女にとっては良かったことである。しかしパークに来ている来場者の命を確保する最優先の仕事=大人の責任を放棄してそれに対して何も感じていないというのはなんともひどい話である。そういう意味ではこの主人公たちはまったく成長できていない。

 前作の監督であるスピルバーグは映画を通して人の成長を描くことをしてきた作家である。スピルバーグは過去のインタビューでも

「私がこれまで引き付けられてきた物語は、すべてチェンジに関係しています。つまり、人の成長なのです。過去の自分から新たな自分へと変わっていかなければならないんです。人が困難に耐えたり危険を冒したりしてその成長を実感できるストーリーならばそれは伝える価値があるのです。登場人物が全く成長しない映画なんて作りたくありません。全然おもしろくありませんからね。私はヒットでなくホームランになるような物語を描きたいのです。一番大事なのは、特殊効果でも興行成績でもなくストーリーなのです。」出典 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3163_1.html

と発言している。「危機的状況を乗り越えて成長する」という物語はまさにジュラシックパークで示されているとおりである。また「未知との遭遇」などでは夢を追い続ける大人と現実との折り合いの難しさがえがかれており、これもジュラシックパークのアランと被る部分が多いように思う。今回の監督がスピルバーグではないのだが、そうした要素はあまり感じることができなかった。映画をただのエンターテインメント作品に終わらせるのではなく、そこにきちんと人間の成長を描けるスピルバーグは当たり前だがやはり上手いと思わざるをえない。ジュラシックパークとジュラシックワールドを比較するならばやはり前者がどうしても上手である。

 
 とはいえ、なんだかんだ巨大な恐竜に追いかけ回されるのは興奮するし、本当にありそうなパークのリアルな未来感は観ていてアガることは間違いない。童心に返って楽しんで観ていたことは否定できない事実だ。劇場で見に行って損をすることはない作品ではある。

 

 

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